深川二丁目北町会

あの頃、人々の往来は、舟と橋だった。
深川は、舟と橋で世界につながり、また、閉ざすことができた。
だからこそ勇みと情けという独特の気質が誕生したのだろう。
江戸の古地図を眺めてみると、作られた年代によって、大きく変わる。
昭和の時代、深川万年町二丁目と深川亀住町が融合して、今の深川二丁目北町会となりました。

この街に住み、思い出して欲しいことは……

孤独を楽しむことはとてもよいことです。孤独でないとモノも書けませんし、趣味なども集中してできないものです。それにわずらわしさや、面倒くさいこともあるものです。
それに「多くの人と接するのは性に合わない」と思うかも知れません。
でも思い出して下さい。地域に生んでいるという、地域とつながっている結ばれてこその孤独と言うことを……自由ということを。
多くの人とつがっているからこそ、人は孤独し自由に、安心して生きて行けるのです。
孤立してはいけません。孤立は生きることをやめることと同じです。
それでも孤立するなら、思い出して下さい。地域とつながっていることを。そしてつながって下さい。


どこに住んでいるの?
深川!
あっそう、よい町だってね! 深川には大きなお祭りがあるってね!
水かけ祭りといって、53基の神輿が、朝早くから夕方まで、えんえんと渡御するんだ!
深川の祭りは佐賀町の力持ち、浜十四ヶ町の漁師たち、木場で働く諸人たちの強肩さ、それに、木挽き衆や川波衆たちが加わっての勇壮さ、華麗な重ね合わせ錦紗を片肌ぬいだ手古舞のいさぎよさも一番だとさ!
江戸三大祭りは、将軍様がお城から見渡せるところから付された名前なんだってよ!
そして、深川二丁目北町会の勇みと情けに和も、なかなかのものさ!
  

一勇齋芳年の浮世絵

左に門前仲町の空に高くそびえる火の見やぐら。その火の見やぐらの隣に、スカイツリーのようなやぐらが見えます。
この櫓(やぐら)は井戸掘りのやぐらです。一勇齋芳年の絵には、このやぐらが特色だそうです。その左に橋があって河がみえますが、仙台堀川です。
大きな橋は永代橋で、永代橋の橋下に見えるのが、石川島です。
手前で、舟に焼きを入れています。また漁師が川底を漁っていますが、牡蛎が取れたということです。
深川を大川から見た風景だ。ちょんまげの漁師や船が浮かぶ。

令和3年度、新規 町会員のご紹介

令和3年1月 日本維新の会 東京15部支部長 金澤ゆいさんです。彼女は今年の衆議院選挙立候補を予定し活動しいています。金澤ゆい
令和3年1月 木もれ陽Labo 学びを楽しむ塾 小学生を対象にしたSTM教育の実践です、詳しくはLobホームページをどうぞ。木もれ陽Labo

令和2年12月 コロナ禍の過ごし方

もうコロナ禍が1年近くになります。町会員各位はどのように過ごされているのでしょうか?
このコロナ禍においても、町会行事に中止や制約などありますが、月2回の防犯パトロールを中心に外部組織との連携など会活動は帰属しています。
役員会・各委員会は大勢での活動はできず、巣ごもり閉じこもり状態です。
秋、庭の広葉樹は葉を散らして、冬をやり過ごしますが、これもまた閉じこもり、巣ごもりなのだと気づきました。
植物が寒さを感じ、今という時計を止めるのも、生きるための知恵です。
ヘビや蛙、昆虫そして土の中に生きる細菌や粘菌、広葉樹、落葉樹。
一年草に多年草、球根などなど生育に適さない時を、次に来る生の季節を信じて閉じこもり巣ごもりの年月を過ごしています。
ずっと以前ですが、古代蓮の種が発見され、なんと種は生きていました。1000年以上の時間を超えての復活をどう考えればよいのでしょうか?
植物や動物、昆虫なども、未来に生を繋ぐことを考え、今をどう過ごせばいいのか考えたのでしょう。
巣ごもりや閉じこもりをしながら、現実を受け入れ真に生きるべき時期を見据える開かれた心があるからこそ、悲観が大きくのしかかる今を受入地中深くに潜みながら耐える、これこそ知性ではないでしょうか。
彼らに知性があるなら、人にも知性がないはずはありません。
人は自由無礙の世界を、もともと持っているのです。
いま無理をせず、それぞれが自分と周りの人々を思いやる心を持って閑かに暮らすことこそ、知性ある行為ではないでしょうか。
幸いにして文明の発達した現在は、電話やオンラインで充分意思疎通もできます。
人と会えない、楽しみが制限されてしまうなどストレスの溜まることもありますが、ワクチンの開発などうれしいニュースも聞かれるようになり、やがて来るであろう自由に往来できる日々に期待して今は静かに過ごしましょう。
巣ごもり中でも外に出ることも大事です。
散歩やジョギングなどしっかり身体を動かして、来るべき新しい明日を懲戒のみんなで迎えられることを切に長い、希望します。

三密を守って、その三密を忘れ、三密していた!

令和2年4月7日に、新型コロナウィルス感染防止のため政府より緊急事態宣言が発令され、4月16日全国に拡大されました。
そして、5月25日解除となりました。およそ1ヶ月半ぶりに日本全国が解除され、解除後の国民に暮らしをどうするのか、地域にとっても大きな問題です。
そこで、少し概要として、振り返ってみました。

まずは、日本人の国内での新型コロナ初感染者は、奈良県在住のバスの運転手でした。
この運転者は令和2年1月8日から16日の期間に2度、武漢市からの日本観光旅行一行のバスを運転していました。1月28日に陽性となたという。
令和2年2月3日、ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に接岸しました。
きっかけは、香港で1月25日に下船した乗客がコロナ陽性者であることが判明したとのこと。
日本に報告されたのは2月2日、そして、3日夕刻に日本に到着したクルーズ船の騒動に発展し、連日、報道されました。
巨大な建物としてのクルーズ船の内部で何が起こっているのか?
この船内の中の法律は、どこの国なのだろうか?
航海と言うけれど、この状況は接岸しているけれども、漂流している国のようだと思えました。
ニュースやワイドショウを見て、あれよあれよと感染者の人数の数がふくらみました。
感染者は、隔離するため旅館やホテル、病院と患者が搬送される姿が映し出されたことから、このコロナウィルスの感染力の強さと恐さが日本に植え付けられたような気がする。
私たちは知らなかったが、墨東病院に搬送されていたという。 4月27日版、厚生労働省のホームページに掲載されている感染情報はでは、PCR検査陽性者数712人、退院しているもの649名、死亡者13名、集中治療室入院者4名ととなっています。 この豪華客船内の大惨事は、入院している人がいる限り、まだ終わってはいません。しかも、すでにクルーズ再開の企画が売り出されているから驚きます。

ダイヤモンド・プリンセス号アルマ船長が当時を語っています。
「上陸するということは、誰も免疫を持たないウイルスを日本に撒き散らすことになりかねないし、健康状態のわからない人を本国に送ることもできない。
乗船者全員を隔離できる施設は日本にはなかった。(ヤフーニュースより)」と。
世界中が、このニュースを見て、恐怖にわいたのだと思ったと同時に、医療従事者・病院にホテル・自衛隊・消防・厚生労働省の健闘の、努力、懸命さのお陰でした。
ダイアモンドプリンセス号は、3月1日乗船者の下船完了し、4月25日離艦しました。

この事件と並行して、中国の武漢での都市封鎖の映像は、韓国の大顛市のクラスター発生と、まるで日めくりの連続ドラマを見るようだった。
3月26日頃になって、日本国内の感染者の急増が始まっていました。コロナウィルスは、私たちの身近に出現するようになりました。
3月1日現在、厚生労働省の数字は、「新型コロナウイルスに関連した感染症の患者15名、国内感染者は254名(患者232名、無症状病原体保有者22名)」でした。
5月28日現在、日本では累計感染者数16,683人、死亡者867人、退院者数13,973人です。世界では感染者累計5,638,190人、死者352,494人となっています。
1月8日からですと、すでに5ヶ月が過ぎようとしています。

日本では、コロナによる非常事態宣言も解除されて、第2派に備えることが急務となっています。
三密と称して、密閉空間、密集場所、密接場面を、私たち一人一人が頭の中に於いて暮らしてきました。
これは自分たちが自らの行動行為を、自主的に見つめてきた結果の5ヶ月の日常生活でした。
多くの地域の家庭にとっては、どっぷりと家族に浸った5ヶ月なはずです。
ひとり身の方々では、一日の日常が成り立っていたコロナ以前とは、かけ離れたものがあるのでしょう。
もっとも、以前と何も変わっていない人もいるかも知れません。
それでも、コロナが変えたはずの日常です。

小池都知事は、5月26日に発言した内容です。
「いろいろな動きが出ていると思うが、第2波の予防ということも念頭に置いていただきながら、これからの社会活動、経済活動に臨んでいただきたい。
せっかくテレワークも始まって、皆さんもいろいろ体験をされて『新しい日常』が始まっていて、それをまた元に戻すのはもったいない。
引き続き『新しい日常』を皆さんで定着させていただきたいコロナによって与えられた時間でした」と。

新しい日常とは、今までの日常とは違うとのことです。日々新たな日常という現実に、何だこれはと、戸惑うことも多いものです。
食事のための買い出しに出かけますし、他人との距離を取り歩く、用事が済めば還る日常です。
隣近所と、立ち話、会話の内容は変わっても、その日常は何も変わりません。

そこで、「三密を守りながら、三密を忘れ、そんな暮らし方の日常が、新しいのかな?と。

ストレスなく、楽な生き方は、三密を守って、その三密を忘れ、三密していた!


令和元年7月『東京における都市計画道路の在り方に関する基本方針』。

深川二丁目北町会の皆さま、平野一丁目の皆さま!
かねてより深川二丁目北町会から平野一丁目に渡る清澄通り道路拡幅の計画がありました。正式名称は「補助110号線」という名前です。
令和元年5月31日、取扱注意で、「東京における都市計画道路の在り方に関する基本計画(案)」http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/…/…/draft_15.pdf7示されました。
過去の規制に関して、東京都都市整備局は、「整備すべきは整備し、見直すべきは見直す」の基本方針のもと、優先路線と見直しの検証されました。
5月31日付けの基本計画に、計画変更となった対象路線に、請願した路線が含まれました。
その時、喜びはあったものの、まだまだ弛緩してはいけない、気持ちを締めておこうと、思ったものでした。
過去に、深川二丁目北町会と平野一丁目町会合同により、請願とパブリックコメント、それに賛同していただいた秋元司衆議院議員、山崎一輝都議、山本かよ子区議の貢献は、恵まれていたことと考えています。
ですが、それだけではないのだろうと、「見直すべきは見直す」の基本認識と一致し、平行した方針だったのだろうと、逆に、とてもラッキーだったと考えています。
パブリックコメント入れて、4年弱の期間が、それを証明しているのではないでしょうか。

そして令和元年7月、「東京に於ける都市計画道路の在り方に関する基本方針(案)」が交付されました。
第4章には、補助110号線、放射29号線付近~特別区道27号付近、500メートルが、計画変更の予定となった路線となったことがハッキリと明記されています。
「今後は、沿道の用途地域など関係する計画等について、沿道市街地の将来像や地域の実情を踏まえて関係する自治体と調整した上で、必要な都市計画手続きを行っていきます。」と、 結ばれていました。
あと一歩ですが、江東区議は全面的に、「よいしょ」してくれれば嬉しく思います。

戦後、昭和46年の補助110号線が、三ツ目通り延伸となって放射道路の実現が変更されたままの残骸である110号線でした。
多くの先輩方が願ってもかなわなかった、ある意味希望でした。
ここまで来ると、先が見えてきました。多分、12月中には正式に決定されると固く信じています。

東京都に出向き請願し、複数のパブリックコメント、町会のHPにも主張していましたが、朗報から吉報へと伝えることができることを臨んでいます。
現状維持が、何もしないが、人を喜ばせるのだとつくづく感無量です。
少し寂しいことは、設計変更という、都から見てこの道路の拡幅必要性がなくてもよいの判断に、この地域を通る道路の重要性がなくなったことを裏付けることです。

でも未来なんて、誰もわかりはしないし、明日もわからないのが現実。
深川の良さは、それでも、人づくり、人づくり、それも、共に、一緒に、みんなで、それぞれに人づくりです。
勇みと情けを組み合わせ、情けをもって勇み、勇みをも情ける。
少し、肩の荷を降ろしたかな。

平成31年4月3日定例役員会にて防犯カメラの設置概要計較が役員会にて了承されました。

令和2年4月に8カ所の高性能カメラが設置されて、現在稼働中です。明治小学校の5カ所のカメラを合わせると全体で町会全体では、13カ所となります。
平成30年の春頃より様々な業者と打ち合わせ、そしてご提案をしていただきました。
そこで深二北町会として最も優れた内容ではないかと、ALSOKカメラシステム提案を受け入れることに決めました。
今後は、立地場所の確定について、町会・区役所・深川警察・アルソックが実地検査して決めたいと考えています。

~導入のメリット~


不審者。イタズラ等の早期発見はもちろん、カメラの存在により、不審者に対する威嚇効果も発揮します。
カメラ映像はSDカードに記録されますので、映像検索がしたすく、トラブルの事後確認に有効です。無線LANにより、高所に設置されたカメラに触れることなく、PC/タブレット端末、スマートフォンで録画映像確認が可能となります。
カメラは200万画素、ピクセルサイズは、1920/1080サイズです。無線LANルーターを使用します。
深二北町会では、明治小学校が5台の防犯カメラを設置しています。町会で8台のカメラが町会内に進入した不審者を警戒して撮影する13台のカメラが警戒します。

~要望~


そこで町会員各位にお願いです。清澄通りは深川一丁目所有カメラがあります。葛西橋通りには、深川二丁目南町会のカメラが設置されています。深川一丁目交差点には、お寺さんのカメラが交差点をカバーし警戒ています。
町会東の木更木橋通りに対しては、カメラがありませんので、各マンション、各家が外に向かってカメラを向けて設置していただくよう要望します。
また、防犯カメラシステムのメンテナンスに、年間144,000円負担が発生します。また取得設置費用も町会の積立金で用意いたします。
今後の課題は、町会費、ないし積立金で負担をするつもりですが、将来的には続くものではないと考えています。
振り込め詐欺、窃盗、盗難、それに不審者等の侵入で深川の町をみんなで守っていかなければならない時代となっています。
そこで、町会費が問題になります。町会費負担を拒否する賃貸マンション・アパートに店舗などは、これらの多くの恩恵に対しては無視できないはずです。
町会のすべての行事が、この街を住みよい町に、きれいな町にと、お節介と見守り、祭礼とその伝統により造られ維持されていることで、深川の伝統が守られての今の姿です。
だからこそ、賃貸事業が成り立つのではないでしょうか。
町会費不払いの賃貸マンション・アパート、店舗とは、粘り強く交渉し理由をお聞きしますが、その結果、双方が理解できないときには、町会費負担会員に対して公表することもできると考えざるをえません。
どうぞ町会が、内向きの政策に傾くことのないようにご協力をお願い申し上げます。


平成30年7月28日 都市計画道路の在り方に関する基本方針・中間まとめに対する要望書(パブリックコメント第2号)

平成30年7月、『東京における都市計画道路の在り方に関する基本方針』中間のまとめにおいて、私たちは、東京都道463号(通商清澄通り)補助110号線について、都の見解は「将来都市計画道路ネットワークの検証において、交通処理機能の確保、緊急輸送道路の拡充等の検証項目に該当し、今後も東京の都市づくりに必要であると評価しました」と、閲覧致しました。
私たち地域にとっても、都市計画ネットワークや交通処理機能の確保や、緊急輸送道路拡充は理解できるものの、東京都とは見解が違います
現状としての清澄通りは墨田区で墨堤通りと交差して、浅草通りに吸収されたような、道路です。
 墨堤通りと交差してと申し上げましたが、現実の認識では、清澄通りは、駒形橋東詰めの交差点が五差路が終点です。
 車の往来を見ても、吾妻橋から浅草方面への車は圧倒的に多く、この交差点で左折する車は少ないのです。
 また、浅草通りを吾妻橋方面への車の流れも、清澄通へと右折する車は少ないのです。
 つまり、浅草通りは東京都縦貫通りであり、清澄通りの、環状道路としての機能は、三つ目通り(水戸街道)が担って補完的ではあるのですが、清澄通りは勝どき・豊海で閉じてしまうことなのです。
 他の機能として、様々な災害のために拡幅計画があるとしても、優先度はどの道路よりも低く、しかも、なぜこの深川2丁目と平野1丁目だけが、残ってしまったのか。
 ことを昭和の歴史から見れば、誰も問題にしなかったから、取り残されてしまった道路だっと、地域住民は認識しているのです。
 私たちは、平成28年2月3日に、深川二丁目北町会、平野一丁目町会住民の総意として、都市計画道路整備方針計画に対して、深川2丁目16番地より平野1丁目8番地までの清澄通り東側の道路拡幅規制の撤廃をパブリックコメントにて要望致しました。
 平成28年3月9日には、第190回国会国土交通委員会が字開催されて、第2号にて、衆議院議員秋元司氏により、この問題を全国の問題としても取り上げていただきましたことは、感謝するところでございます。
 私たちの要望を発表する場所としても、市民の声を全国に届けさせていただきましたことは、感謝に堪えません、下記は国土交通委員会議事録からの抜粋です。
 
 ○秋元委員 ぜひ、この問題は臨海部を今後発展させていく上で非常に大切なことだろうと思いますので、取り組みをよろしくお願いしたいと思います。
 最後の質問ですけれども、最後は、都市計画道路整備についてちょっとお伺いしたいと思います。
 この都市計画整備については、基本的には法律は国なんですけれども、運営は地方自治体でありますから、細かいことは本当は地方自治体に問わなくいけません。
 けれども、基本的な国のスタンスとして問わせていただきたいと思うのは、私は、やはりどうしても、地元は東京ですから、東京の例で申し上げますと、いよいよ第四次整備計画がほぼ発表されました。
 しかしながら、私がちょっと疑問に思うのは、例えば私の地元江東区においては、ちょっとマニアックな話をしますと、深川二丁目の十六番地から平野一丁目の八番地までの、いわゆる清澄通りに位置する東側なんです。
 けれども、ここは約七十年前につくられた都市計画法による規制の区域でありまして、その主な目的というのは、平野一丁目八番地から三好一丁目一番地の住宅街を通って清洲橋通りに抜ける計画道路がある、その延長がこの規制区域となっているんですけれども、この計画道路というのは、東京の大密集地帯、タワーマンションが建っているところの真ん中を突き通すなんてことはあり得ない話であって、事実上、現実不可能だし、かわりに、これもマニアックな話で申しわけないんですが、いわゆる三ツ目通りが湾岸道路まで延びていますから、もはや必要性としてはない、こういう計画道路が残ってしまっているわけであります。
 そして、この規制が何をもたらしているかというと、結局、清澄通り、西側と東側を見ますと、西側はこの規制の枠がかかっていないので、商店街も含めた非常にいい、ちゃんとそこそこのビルが建ちながらきれいな町並みが広がっているんですが、東側の方は規制が残っちゃっているので、例えば三階以上のビルは建てられないだとか、いろいろなさまざまな規制が残って、見た感じ、差別感が非常にはっきり出ちゃって、この七十年の間ではいろいろ世代もかわっていますから、さまざまな資産のいろいろな継承があるんでしょうけれども、売買も進みながら、民間の活躍もあるんですが、残念ながら、少し客観的に見ても元気がない状態にも見えてしまっているわけであります。
 地元からも、この計画道路の見直し、早いところ規制を撤廃してくれ、規制をもう取り払ってくれという声があるんですが、こういった問題について国交省としての見解を求めたいと思います。
 
 ○栗田政府参考人 都市計画道路の整備につきまして御質問を頂戴しております。
 都市計画道路は、都市の骨格を形成して、安全で安心な市民生活、機能的な都市活動を確保する、都市における基幹的な都市施設でございます。
 事業の着手におきましては地域住民などの関係者を対象とした説明会を開催するなど、住民の理解促進のための取り組みを行うことが必要と考えています。
 既に、委員、質問の中で言及されておられますけれども、東京都では、東京における都市計画道路の整備方針、いわゆる第四次事業化計画を策定すべく作業を進めておられます。
 昨年十二月に方針案を公表されまして、十二月から二月十日にかけてパブリックコメントが行われたところであります。
 今年度末までに、今月末ということですが、今後十年間で優先的に整備する路線の方針などを策定する予定というふうに伺っております。
 また、優先整備路線以外の路線の取り扱いにつきまして、これもまたパブリックコメントで地域住民からお示しのあった御意見なども踏まえながら、ことしの四月以降、都市計画で定められた幅員での整備が完了していない、しかし概成している、そういった道路の整備の必要性などにつきまして検討が進められるというように伺っておるところでございます。
 都市計画道路の整備につきましては、地域住民などの関係者からの御意見も踏まえまして整備を進めることが必要であると考えておりまして、東京都も同様の考えであると伺っておるところでございます。
 
 ○秋元委員 ぜひ、見直しも含めて、国交省もいい指導をしていただきたいと思います。
 以上です。ありがとうございました。
 
 規制撤廃まで、私たち深川二丁目北町会・平野一町会の願いは終わりません。
 さらに、平成30年3月5日午後0時、都庁都議会塔自民党会議室に於いて、都議山﨑一輝氏にご紹介をいただきました。
 都市整備局 都市基盤部 街路計画調整担当課長末元 清氏、都市整備局 都市基盤部 街路計画課 統括課長代理(街路計画調整担当)近藤 卓也氏に直接面談して、速やかな規制撤廃を請願しましたことは、5か月前のことでありました。
深川二丁目16番地から平野一丁目8番地までの清澄通り都市計画法による規制は、古老に聞いた話には、海辺橋から平野一丁目8番地を左に折れ曲がるのではなく、真っ直ぐ三好一丁目1番地の住宅街を走って、清洲橋通りに抜ける計画道路があり、その延長として残ったと聞きました。
現在の三ツ目通りは、本来、深川から門前仲町に流れる道路だったということだったのです。
 それがなくなったことで、現在の問題が発生していると認識しています。
 またそうでなくとも、現在の深川二丁目16番地から平野一丁目8番地までの規制は、交通事情や人口動態、区部全体交通システムなどを考え、防災面から見て耐火構造をみても、現在深川二丁目から平野一丁目までの清澄通り都市計画法による規制は、時代の流れが変わってしまったと考えています。
 さて、現在、都では第3次事業化計画が推進され、4次事業の計画あります。そして現在清澄通りの電線などの地中化計画も着々と実行されているのですが、深川二丁目16番地から平野一丁目8番地まで区間東側側道は、地中化工事がなされていません。
 しかも、この区間だけ、東側側道は、3階以上の建物は建てられない規制があります。
 当然、建て替えなども都市計画に同意する許可も必要ですし、売買にも関係しています。
 それ以上に困惑するのは、60年以上にわたって、住民の世代間継承等、将来に不安が付きまとっていますし、その不安は世代を超えて引き継いでいることになります。
 まして、西側側道に面した土地は、建物の高度化、商業化など著しく変化しています。
 それにひきかえ、東側側道に面した建物は、未だに年数の経過した木造住宅や商店があり、その差は大きく、地域の一体とした景観として差別感があり保たれていません。
 その土地に暮らしている住民の気持ちにも、建物の建て替え、あるいは売買もあるでしょうが、この不利益は、地域にとっても差別として感じられ、発展がなかったと考えています。
 これは不利益に差別です。戦後から続いているにもかかわらず、この間、行政からも一向に見向きもされなかったことが、このような現状になったのではないかとも考えられます。
どうか、この部分に関して都市計画法の規制を無くすことを要望したいと、深川二丁目北町会、平野一丁目町会として、その住民の総意として、撤廃を求めたいと決意して重ねて要望致します。

平成27年12月 都市計画道路整備方針計画への要望

深川二丁目16番地から平野一丁目8番地までの清澄通り都市計画法による規制は、古老に聞いた話には、海辺橋から平野一丁目8番地を左に折れ曲がるのではなく、真っ直ぐ三好一丁目1番地の住宅街を走って、清洲橋通りに抜ける計画道路があり、その延長として残ったと聞きました。

 またそうでなくとも、現在の深川二丁目16番地から平野一丁目8番地までの規制は、交通事情や人口動態、区部全体交通システムなどを考え、防災面から見て耐火構造をみても、現在深川二丁目から平野一丁目までの清澄通り都市計画法による規制は、基幹道路として拡幅必要はないと、時代の流れが変わってしまったと考えています。
 
 さて、現在、都では第3次事業化計画が推進され、4次事業の計画が企画されています。
 清澄通りの現状は、電線などの地中化計画も着々と実行されているのですが、深川二丁目16番地から平野一丁目8番地まで区間東側側道は、地中化工事がなされていません。
 
 しかも、この区間だけ、東側側道は、3階以上の建物は建てられない規制があります。当然、建て替えなども都市計画に同意する許可も必要ですし、売買にも関係しています。
 
 それ以上に困惑するのは、60年以上にわたって、住民の世代間継承等、将来に不安が付きまとっていますし、その不安は世代を超えて引き継いでいることになります。
 まして、西側側道に面した土地は、建物の高度化、商業化など著しく変化しています。
 それにひきかえ、東側側道に面した建物は、未だに年数の経過した木造住宅や商店があり、その差は大きく、地域の一体とした景観として差別感があり保たれていません。
 
 その土地に暮らしている住民の気持ちにも、建物の建て替え、あるいは売買もあるでしょうが、この不利益は、地域にとっても差別として感じられ、発展がなかったと考えています。
 
 これは不利益に差別です。戦後から続いているにもかかわらず、この間、行政からも一向に見向きもされなかったことが、このような現状になったのではないかとも考えられます。
 
 どうか、この部分に関して都市計画法の規制を無くすことを要望したいと、深川二丁目北町会、平野一丁目町会として、その住民の総意として、撤廃を求めたいと決意して要望すると同時に、撤廃まで要求し続けます。

地図(マップファンより)

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